2012年5月19日土曜日

世界最大ブランドを見据えるフォルクスワーゲンの歩み | 輸入車ならGooWORLD(グーワールド)


 フォルクスワーゲンは世にも不思議な自動車メーカーである。

 ご存じのように、その起点はビートルだった。1933年、政権をとった直後のアドルフ・ヒトラーがフェルディナント・ポルシェ博士を召喚して、これまでになく安い価格で販売できる国民車の設計を要請した。これに応えてポルシェ博士は空冷フラット4をリヤに積む4座車を設計。一方、ナチス政権は38年に現ウォルフスブルクの地に生産プラントを建設。これを国民車製造会社(Volkswagenwerk GmbH)として設立した。ただしビートルは国民車として一般販売はされず、軍用車に転用されてドイツは第二次大戦に突入。そして敗戦となるわけである。

 敗れたドイツは米英仏ソの4カ国で分割統治する形になったが、ウォルフスブルクの地を抑えたのは英国であった。その英国の士官だったアイヴァン・ハーストがビートルというクルマの優秀性とVWの生産能力に着目し、英国統治下でVWは再生を始める。その勢いは驚くもので、45年の終わりには早くも月産1000台ペースに乗せてしまうのである。


 こうして再起したVWは自力で操業できるところまで復活し、48年には支配権がドイツ連邦政府に無償返還され、有限会社フォルクスワーゲンとして再出発することになった。

 その後のことは皆さんもご存知だろう。ビートルは30年代に設計されたにもかかわらず、時代を超えた優秀性を発揮して、欧州のみならずアメリカでも売れに売れ、VWは確たる存在になっていくのである。

 さて、ここまで読んでいて気がついたひともいるかもしれない。そう、VWはビートルをつくる工場として設立されて、戦後復活してからもそのまま工場であった。普通の自動車メーカーは開発・生産・販売という3つの部門から成り立つ。しかしVWは開発の領域を受け持つ部門が存在しなかった。ビートルの改良に始まって、これを下敷きにしたタイプ2バスを送り出すところまでは社内の技術部門でできたが、新型車を白紙新設計する力はなかったのだ。じつはポルシェ研究所に新型車の開発を委託してはいたが、彼らはわずかタイプ3を開発するにとどまり、70年代を迎えるにあたってVWの未来はけっして明るいものとは言えなかった。


 その暗雲を払ったのが65年に買収したアウトウニオン企業体だった。その中核のアウディには、以前メルセデス傘下だった時代に移籍してきたルードヴィッヒ・クラウスという技術者がいて、メルセデス時代に構想していた水冷4気筒をアウディで現実化し、これをフロントに置くFF車を設計して新時代に備えていた。

 VWを救ったのは、そのアウディの技術だった。長らくビートルの後継車を送り出せずにいたVWはジウジアーロにその開発を委託。ジウジアーロは直4をフロントに横置きするFFとし、キャビンもスペース効率に優れた設計で合理的な小型ハッチバックをつくり上げた。ところが、それに載せる水冷4気筒がVWにはなかった。仕方なく彼はアウディのそれを借りてきて新型車を完成させる。これが初代ゴルフである。つまり70年代における小型車の革命と賞されたゴルフは、言ってみればメルセデスとアウディとイタリアの知能が集結したクルマだったわけだ。


 ゴルフはまた、VWがただの工場から開発能力を有する自動車メーカーに脱皮する契機になったクルマであった。その後アウディが縦置きFFに特化する一方、VWは横置きFFを一貫して支持し、グループ内における両車の棲み分けは明確になっていき、VWはVWでゴルフを2代目3代目と世代交代させるうちに自社技術リソースを確立していった。90年代にはフェルディナント・ピエヒがトップに就任し、彼の号令で生産精度は世界トップレベルに向上。またフォーカスという迎撃機をフォードが送り出してきたときは、シャシーを全面刷新したゴルフVで応戦して、その傍らではDSGという超兵器を完成させて返り討ちした。彼らは手を緩めず、ディーゼル全盛の欧州でガソリンエンジンを小排気量ターボ化して新たな技術トレンドを創る。今やVWは自 動車世界の先頭を行くトップランナーであり、その勢いは製品の充実となってラインアップに反映されている。


 歴史を眺めると、自動車会社はクルマづくりを志す者が設立するか、優秀な事業家が自動車づくりにチャンスを見出して起業したケースばかり。しかしVWはそのどちらでもなく、ただの工場から始まって、今や開発力で世界の先頭を行く存在。VWという会社は、そんな特異な経緯を持ったメーカーなのである。

近代的な生産方式を確立したT型フォードの累計生産台数を超えたビートル。それは戦後めざましい発展を遂げるドイツを象徴する出来事であった。

P R O F I L E

沢村慎太朗

鍛え上げられた感性と鋭い観察力、そして徹底的なメカニズム分析と知識を駆使することにより、クルマを論理的に、そしてときに叙情的に語る自動車ジャーナリスト。



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